はしっこで独り言
音湖の日々を記録する場所。METEOSとラビアレ史上主義の腐女子ブログです。というか最近はなんか部活の話が多いなあ——HPの方から来た方はブラウザで戻るか横のリンクからもう一度入ってください
「何もかも忘れたい……」「どうして?」
雨雨ふれふれかあさんがー じゃのめを壊して迎えにこない
あれですよ。呼び止めたい訳じゃなく「お疲れさん」を言いたかっただけなのに、名前を叫んだ後続きを言えなかったというあれ(だから何)。うーん、雨って退屈だ。というか寂しいねぇ、こりゃ。喋れる相手皆無。だいたい大雨洪水警報かい。なぜこんな貴重な部活の時間に大雨降るからって帰らなくちゃならないんだ? くそー! 貴重な時間を返せ! てね。 あれはドリア先輩だったんだろうか。頭刈っててよくわからなかったけど。多分そうなんだろうな。あ、風で眼が乾きそう……。これいつ止むのかなあ。母上は「にわか雨だから止む」って言ってたけど。寒い。
本当の所ならこの持て余した暇な時間に台詞覚えたいんだけど、建物の中ってわけじゃないからなぁ。ここで台本出せば確実に濡れるだろうね。それだけは避けたい。私がどれだけ濡れても台本だけは濡れてほしくない。鞄は濡れてるけどまだ中身は無事だもんね。この状態をキープできればいいわけだ。あ、蝉が鳴きだした。もうすぐ止むんだろうか。この感じはまだ一匹しか鳴いてないからまだまだかなぁ。風は少し止んだ。あ、稲光。もうちょっと小降りになってくれないかなあ。雨の中の登下校なんてまっぴらごめんだね。と言う私にとってこの状況は最悪以外の何者でもない。まだ雷なってるよ。いつ止むんだか。誰か誰でも良いから話せる人が居たらいいのに。そしたらある程度は暇しなくてすむ。
蝉が少し多めに鳴き始めました。うん、一匹じゃない。雨も弱めになってきました。あ、でもまだ雷はなってます。こいつさえ鳴り止んでくれれば無理してでも帰るのに。うーん、雨の臭いが少々臭い。なにこれこの「塩素入ってます☆」みたいなの。すごく不快だ。
ちょっとまた周りが暗くなり始めました。降るなよ降ってくれるなよ。このままもっと小降りになって消えておくれよお。
てなことを昨日はやっていたわけですよまったくもう
雨なんて大嫌いだあ
「すきだあああ!」「はあ?」
時と場合により、人間はいい人か悪い人か決まります。なあんてね
ハイイロノソラは何回みても飽きません。SFが大好きな私だからかもしれませんが。今もみたいところですが、今みたら母が絶対に怒ると思
うんでみれませんねえ。
リンが何故人間の両親に捨てられてしまったのか先輩に聞いてみたところ、何か疑問が残る返答をされました。人間の両親に子供ができなかったから、その寂
しさを埋める為の養子アンドロイドとしてリンは存在していた。けれど、人間の両親の間に本当の子供ができてしまった時、リンの存在意義はなくなり、反対に
邪魔になる。だから捨てられた。
うーん。いくらリンがアンドロイドだからってそういう理由でそう簡単に捨ててしまえる物なんでしょうか。今まで可愛がってきたはずの子供を、他のアンド
ロイドたちのように捨ててしまえるでしょうか。
「AI」という映画を前にみたことがあったんですが、それでは本当の子供が目覚めても主人公のAIの男の子はしばらく一緒に幸せに暮らしていました。本当の子供のせいで起こった事故の責任を押しつけられて、結局は捨てられてしまうことになりますが、それでも人間の母親は最後までちゃんと彼を愛してくれていました。
「ハイイロノソラ」の話を聞いていると、リンはあっさり捨てられてしまったみたいです。私がちゃんと話を読めていないと言うのもあるかもしれませんが、
どうもその辺りが気になって……。
人間とアンドロイドの違いっていったい何なんでしょうか。「生きているもの」と「機会」というふうに一般では考えられていますが、実際の所、どうなんでしょうか。私はその辺りの知識に乏しいので、偉そうなことは言えませんが、もしもアンドロイドに感情が生まれ、物事を自分の頭で考えるようになったとき、それはアンドロイドに命が生まれたと言っていいんでしょうか。魂を持ったと思
っていいんでしょうか。「生きているもの」と「機会」というふうに一般では考えられていますが、実際の所、どうなんでしょうか。私はその辺りの知識に乏しいので、偉そうなことは言えませんが、もしもアンドロイドに感情が生まれ、物事を自分の頭で考えるようになったとき、それはアンドロイドに命が生まれたと言っていいんでしょうか。魂を持ったと思っていいんでしょうか。
ああもう自分でも何言ってんのかワカンナイ
感情って何処からくると思います? 心から? 頭から? それとももっと別な何かから?
私たち人間は日々笑って泣いて、怒って驚いて生きています。いくつ物「感情」と呼ばれる物を持ち、それを絶え間なく自分の外側の存在、他人に表現してい
ます。
でもそれって、いったい何処からくるんでしょう?
悲しいとき。それも心から悲しいとき、人はちょうど心臓があるあたりがズキズキ痛むと言います(まあ、私は本当に悲しいときは胸に始まり指先まで、体全体がジンジン痛みますが)。ということは感情は心(あるいは心臓)から来ていることになるんでしょうか? なんだか違う気もします。感情が「心」を支配するとき、それは体にも影響を及ぼします。怒り狂えば腸は煮え、頭は混乱を引き起こしますし、喜びなどは時として体調を改善してしまう。「病は気から」と言いますが、まさにその通りなんですからねえ。
「あーした天気になあれ」「天気予報では雨だってよ」
まいにちあっついねえー……
シキブ先輩をメールで質問攻めにしているという状況です。だってアレじゃないか「ハイイロノソラ」って見るたんびに謎が深まっていく感じがするんですもん。それから、昨日最後に一回見ている時にふと気がついたんですけど、あれって物凄く怖い話なんじゃないかしらと……。気がついた瞬間背中がぞぞおーッと寒くなりました。えー、まさかねえ。うん。でもなあ。だってあの場面はああだとしか思えないんですもん。じゃないと説明がつかないんですもん。私は話を理解するのに結構時間かかるタイプなんですが、今回もそんな感じでみるの4回目ぐらいでやっと気がつきましたからね。あー、怖。
最近何かいてても話つづかねー! ぉぃぉぃぉぃ
やばいですよ。ブログかいてても全然話が続かないんですよ。今も何書こうかって頭絞ってますからね。記憶力とやる気がどんどんこぼれ落ちていく。創作の方も全然進まないし、台本かこうとかおもっても全然集中できないし、兎に角集中力が全体的になくなってきてるんですよ最近(何が最近だよ今更)。ダレカ集中力あげる方法何か教えてくれないかなあ(また他人本意かよだらしがない)。そうこういっている間にも刻々と時間は過ぎていくわけでありまして、私はいったい何をかきたいんだろうと脳内はまたまた堂々回りをくり返し……。うああああああああ! どうしろっつーうんだよおおおおお! はい、すみません。
空がキレイですよ
ま、昼間の話だけど。
空が綺麗なのはいいことです。どんなに暑くたって空を見るためなら外に出ていきますよ私は。風が涼しければ最高だあね。でもこの世の中そうそう上手いこと行くわけがない。外にいつ出られるか分からないし、外に出ていったとしても、涼しい風が吹いているか分からない。ましてや空がキレイかどうかなんてわっからなあい。空っていいですよね。見つめているだけで吸い込まれていくようなあの感じがとても溜まらないじゃないですか。夕焼けや朝焼けも綺麗だし、夕闇なんか私大好きです。あの時間帯は外にいるととても気分がいい(っていっても何だか淋しいんだけどね)。自然はいいです。家の中にいるよりも外にいる方が落ち着くってどうよ。
「この味噌汁塩っぱいなあ」
ああああ! 自分が嫌いだああ!
でも生きてるのは自分が好きな証拠なんだよね。
何を考えても何も浮かばない事ってありますよね。今の私がま
さにその状況です。部活でやってみたい台本を自分で考えようとしてみるんです
けど、どうしても何も浮かばないんです。浮かんだとしてもネタを思いついたそ
の先が思いつかない。
学校恨んでいいですか? もうなにもしたくなくなるじゃないか。まあそれじゃ駄
目なんだけどね……。
月曜日が楽しみです。何がって? あれです。月曜日にはですねえ、オープンハ
イスクールがあるんですよ。それで、学校紹介で演劇部に指令が出されたんです
。私は第二部でコメンテーターEをすることになったんですよ。それが嬉しいんです。技能検定に出られないのは哀しいけどなくけど。うん。
「人の日記を見るなあああ!」
とかいうブログにあるまじきタイトルで始まった今日の話
しばらく(正確には二日)ブログをサボりました音湖でえす☆(ぉぃ ということで焦ってます。普段はこんなに焦らないのにね。今日は珍しく焦ってます。きっと危機感を感じたのねえ。このままいったら一生かかなくなってしまうかもしれないという危機感。私としては有り得ないこともない。だって面倒くさがりなんだもん。この面倒くさがりはいつからなってしまったのか、全然治らなくてこっちのことも焦っていたりしたりするするする。あーあ。
今日もやっぱり脳内半割は部活
もういいや渾名出しちゃえ。
うちの同輩のハイジがとうとう演劇部三十回生限定のサイトを経営し始めた! というのが今回の一番最初のネタです。しかもサイトはじめたの私の誕生日かよ! まあいいけど。 さっそくBBSに書き込んできました。どういう反応が返って来るやら……。
でもコンテンツは少ないね。まあしょうがないか。部活だし。部活だしい。部活のサイトなんていったい何するんだろうってね。何かできることないかしら。例えば、例えばあ……ああ、だめだ。今何も思い付かない……。
打ち上げは私また号泣してました。あっはっはっははは……は……。うん。やっぱり先輩たちいなくなるのは淋しいなあ……なんて思ってたら、ハイジが日記でスパッと切ってましたそういうの。まだまだやなあって。でも哀しいもんは哀しいし、泣ける時にないとかないと、ね。という風に私は思うんですがねえ。人は泣ける時になかなかったらずっと泣けないままですよ。
「もしもおし、生きてますかあ」「生きていたいでえす」
あ、台本部室に忘れたかも
台詞覚えらんねえ!!
という阿呆な状況。頭の中はやっぱり部活のことで一杯いっぱい。今日の朝だって、部活の最中にとったムービーを再生して見てたもん。見てるだけで笑いがもれるし、凄く幸せな気分になれる。すんごく楽しい。生きててよかったって思う。人生の中で一番今が楽しいと本気で言える。昔は自分にそんな時期が訪れるなんて考えもしなかったし、出来なかったけど。やっぱり未来はだれにも分からないもんなんですねえ。本当、生きててよかった。今なら世界中の心優しい人達に感謝出来る。「私を今日まで生かしてくれてアリガトウ。私をこの世界の生んでくれてアリガトウ」
今アメンボダンスを一回踊ってきましたよ。もう一回くらいやってもイイかなあなんて。たのしいなあ。 あ、今日打ち上げあるんですよ。文化祭の打ち上げを今頃なんですが、兎に角ずっと私楽しみにしてたんですよね。今日というこの日を。だって部活の打ち上げって私始めての体験ですもん。中学の時はそういう部活じゃありませんでしたから、どうもその辺には不馴れで、今もどきどきしてます。3年の先輩とまとまってあえる最後の機会でもありますし。今日のうちに溜合をして、今後3年パワーを事欠かないようにしないと。あの3年の先輩たちのエネルギーは部活に取っ手かかせないものだと今でも私は思ってます。だって2年の先輩たちっていっつも3年の先輩たちにエンジンかけてもらってはりますし。
あー、毎日、そして一生部活をやっていられたらいいのに
先輩に引退して欲しく無いヨー。
「何いいいい!?」「まだ何も言って無いよ」
さて、久々の小説更新をして、そんでもってやっとサーチの方のIDとパスワードも把握出来て更新報告をしてきました。というか、実体はその逆で、間違って更新報告をしてしまったから慌てて新しい小説を更新したんですがね。どちらにしろ、これからは更新報告が出来ないと言って落ち込むことはなくなりました。やれやれ。
次は無いと思いなさい
この小説を読返しときふと思ったこと。
「ん? 何でアレンはノアが入ってきてるのに騒がないんだ? しかもこのようすだと前にも何か入ってきてそうだねえ」
この小説は、各サイトさんのところにある、ティキとアレンの何気ない喧嘩に触発されて書いたものなんですが、改めてこうしてみてみると、「理由付けたがり」な私にとってはどうしても考えずにはいられない内容になったわけなんですねえ。何故ティッキーはアレンに騒がれずに彼の部屋を出入りすることができるんでしょう。
その答えは、小説にはかかれていない場所に含まれているかねしれません。例えば、いつもならティキはラビとアレンが一緒にいる時にしかこないんです。ところが、今回はラビの都合が会わなくて、間違ってティキはやってきたと。何もするでも無く、ただ「おたく訪問」をするだけのティキには、ラビは——少し慣れも出てきて——寛大なのかなあ。それと対照的にアレンはティキをかなり嫌悪しているようで。なので、この小説はまったくティキアレにはなりません。
ちなみにアレンは本気です。次にティキが彼の部屋にはいった時、たばこをティキが吸おうとすれば容赦なく殺しにかかります。
「たばこの匂いは師匠を思い出すんですよ」
ラビはきっとそれを笑ってみているだけでしょう。だってそんな面白い状況、なかなか見れないじゃないデスカ。たばこを吸ったと言う理由だけで゛エクソシストに殺されるノア。なーんちゃってえ☆ というのはさておき、ということで、ティキとアレンの話でした。けっしてティキアレではないので、そのあたりご了承下さい。
「時間よ戻れえ!」「……なにやってんの」
やっぱり私は部活が大好きだああああ!! うん
今日——正確には昨日になるのかな——寝た時には夢を見なかったんで——いや、本当は見たんだけど覚えてないだけ——今回はそれより前に見た——それより前っつても、昨日の昼間、宿題しているあいだに居眠りした時の夢だけど——夢の話をしようかなあなんて思います。忘れないあいだにね。
大分忘れちゃったんですがね、またもや夢に部活の先輩方登場の巻です。覚えているところから書くと、何だかSB先輩とMD先輩とSMM先輩と——後他にもいたはずなんだけど、その3人が居たことしか覚えてない——で、何やら城の歴史博物館みたいなところに見学に行ってたんですよ。そこにいた間の夢の記憶——夢が記憶であるか、もしくは夢の記憶ができればの話だけれども——はすんごく短くて、たしかにそこに長時間いたと言うことは覚えているのに、実際覚えている場面は休憩所みたいなところでSB先輩が座っていて、MD先輩とSMM先輩、後私とその他もろもろの人達はうろうろしているというところだけなんですけどね。
そしていきなり話は飛んで今度はデパートで先輩たちと中を徘徊している最中に、中学時代の英語の某先生に追い掛けられると言う恐怖体験をした後、また場面は変わってエスカレーターと天井の間に挟まれる夢もみました。
というふうに昨日書こうとして下書きでほったらかしになっていた記事。
「なに? そのドングリ頭」「この間いった散髪屋がへたくそでさあ」
携帯の新参者
私の携帯が、とうとうプリペードではなくなりました。はい、驚きですよ。普通の携帯になっちゃったんですよ。今まで七年間プリペードだったというのに! ちなみにカラーはピンクです。前の携帯がまだボーダフォンのままだったので、今回ソフトバンクに変わったのは少し違和感というか、あー、やっぱりわたしはマークはボーダフォンのほうがかわいいとおもうなあとおもったり。
バナーだ 凄い!
バナーを新しく変えました。いや、変えたと言うと語弊があるか。正確には増やしました。妹がバナーを作るのにとてつもなく便利なサイトをみっけてくれたので、そこでちょいちょいと試しに作ってみたんです。うわー、凄ーい。こりゃ可能性広がるぞー。と、作っている間中すっかり感心していました。ああいうサイト作ってくれる人ってスッゴクありがたい存在だあああ。世間の「バナー作れない」人達にとってはかなり喜べる。
役貰ったうぇーい
七分間劇の台本がちいさんのものに決定! (私は間に合わなかった)。私は結構重要な役をやることになり、うへえ、台詞おおいなあと少しビビっております。まあ、ちゃんとした台本は明日出来ているはずなんですが、試作段階の方は台詞結構おおいです。ながぜりとか。うわーー。
「とくになにもないんだけど」「じゃあなに」
時折またまた自分が嫌になる
ああああああああああああああ! 台本間に合わねえええええええええ! 期限があんだけってありかよ! あんな短期間で書くなんてよっぽど調子いい時じゃなかったら無理無理無理無理! 私は今得に何も書けないスランプなのだ。うん、予想通り玉砕しそうだよイヤダナア嫌だなあ。やっぱり台本を書くというのはとても怖い事でした。私にとっての話ですが。だって、台本って自分の思考をそのままぎゅっと短いものに書き上げようってやつなんですもん。私にとってそれは自分の脳を一発でパッと見られてしまうようなものなのです。アレとはまた違うんですね。二次創作もあれはかなり私の思考ですが、あれはある程度フィルターをかける事が出来ます。文章という名のフィルターです。と・こ・ろ・が。台本となると殆どが台詞。ト書きが一杯ある台本もありますが、それでもやっぱり何かしら台詞は存在します。そしてその台詞は声に出して発せられるわけで……。私は『言葉』に対する無性の憧れと、変に巨大化した恐怖を持っています。憧れは他人の言葉に対するもので、恐怖というのが自分の言葉に対するものです。因に台本、自作の台本っていうのはそのまま、もろに自分の言葉なんですよね。怖いですよ。
うん、昨日自転車で帰りながらまたまたじっくりと今の自分の幸せだと思うところを噛み締め泣きたくなりました。私って怖いものがおおいんですねえ。幸せまで怖いっていったい何なんで証拠の罰当たり。幸せは幸せなんだから幸せとして精一杯受け止めればいいところを—— 今までこういう事が本当になかって、とても久しいから慣れていないというのもあるのかもしれないし、それともまた別の、自分で気がついていない理由でもあるんでしょうかね。あ、一つ言える事といえば、今のこの幸せがなくなる事が怖いのかもしれない。なくなるなんてことはないなんていえないんですよね。うん、自分の今の状況はちょっち危険ですから。兎に角兎に角兎にも角にも、幸せです。とっても今私は幸せな状況にいると思います。こんなふうに、幸せだあっと思える日が来るとは夢にも思いませんでしたよ。生きてて良かったやっぱり人間生きてさえいればいい事あるんですよね。しにたいしにたいしにたいしにたいと何度思って実行に移せなかった自分がいるか。実行に移せなくても別に全然構わなかったんですよ。生きていことへの恐怖心で、生きる事への勇気がなくなってはまだいますが、それでも随分回復したんじゃないかしら。だって幸せだと思えるわけなんだから。じわじわと心のそこから幸せだと思えるような時がきたんだから。うん。
いつの間にか、私が「日常」で書く話って、たいてい演劇部のことばっかりになってきた今日この頃。私の日常は今や演劇部であり、授業やクラスの中にはその日常が存在しなくなりつつあります。日常で何かかけといわれたら、真先に部活のことが頭に浮かんできて、クラスのことなんてはなから頭にありません。今のクラス大嫌いです。今私から部活をとってしまえば、私学校にいく意味を失ってしまいます。今、部活がない日に学校にいくのは先輩や同輩に会いたいが為であり、授業なんて道でもいいなんて思ってしまったりするわけなんです(あ、美術の授業は別ですよ。美術の授業は凄く好きです毎日美術でもいい)。部活さああれば今は幸せ、まさにそんな感じです。先輩たちが大好きです。同輩たちも大好きです。というか、愛してます。一緒にいられる期間が短いのがとても、考える度に私に恐怖と孤独を与えます。もっともっともっともっと、ずっと一緒にいたいんですよ。3年先輩たちが今いないなんて考えられませんし、3年の先輩たちがいなくなった今部室がかなり広々と感じられるんです。あの広さが少し怖いです。あああああ、先輩たちに会いたい。はやく打ち上げやりたいな。でもやったとして、きっとその時はずっと終わって欲しくないって思うんだろうな。ずっとこの時間が続いてくれればいいのに、そんなことできないのは分かってるけど、そう思わずにはいられないじゃないか。ずっとこのまま、時が進むわけでもなく止まっているわけでもなく、兎に角何でもイイからずっと一緒にいられればいいのに。
「どうせ僕にはわからないですよ」
だって辻さんがその話するし
たまご丼と言うメテオスサイトがあるんですが、そこのグランネストが凄く可愛いんですよ。で、そこのサイトの人、グランネストによくメイド服を着せているわけでしてね。それがまたもう血を吐くくらい可愛いんですよ。それをみてたらね、ウチのグランネストが着たらどうなるのかなあって。うん、メックスの狼狽えている顔が目に浮かぶ。あん人親ばかだから。
「マスター! 見テクダサイ」
「ネスト、何回も言ってるだろ、マスターじゃない——って!? どど、どうしたその格好!」
「三陽サンガキット似合ウカラッテ」
「あいつか……」
とかいいながらカメラ構えてシャッター切っていたり。メクパパは息子が大好きです。ネストはマスターが大好きです。いつになったら両者の相手への思いは共通するようになるんだか。ちょっとした違いが哀しいペアです。
「とんでもないよ! 僕には勿体無い」
何故私は小説を読むの?
それは、小説は私に寄り添ってくれるからじゃないだろうか。何だかんだといっても、私の周りには私と似た思想を持っていて、それをだれかに話したくてしょうがないというひとはいないんですね。どちらかというとその反対の人の方が多いんですよ。私の周りの人はそういう人が多いんです。できれば私の考えているような事は口にしないか、もしくは口にしてもすぐ話題を変えてしまったりなんかしてしまった話が続かない。あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ。もういやだよ何もかもというような事が最近おおすぎる生きたいけど生きたくないです。どうしろっていうんですか。この私の中にたまっているだまだまの吐き出しかたは何処にもないんですか? どうやればこれははきだせるんですか。
何をしていても最近は充実感を感じる事が出来ないんです。感じる事ができたとしてもそれは一瞬のことで、次の瞬間にはもう何か求めて心が乾いている感じがするんです。もう何も見えないみえない見えないといってもイイ程目の前は濁っているし聞こえないくらい頭の中は雑音で溢れてるし、静かな時間というものを求めてもそれはなかなか手にはいらなくて、何処にいっても自分の居場所というのを見つけだせなくて探す勇気もないんです。探す勇気がない。これは致命的です。生きる勇気がないんですから。このままじゃいつ死んでもおかしくない? いやいや死ぬわけはないんですこの世に未練が残り過ぎてる。だいたいこの未練も一生未練のままで終わってしまいそうだ。生きる勇気がない生きる勇気をください生きている事が無性に怖い。こわいこわいこわいこわいこわいこわいこわい。
全ての物事に怯えています。今この時こうやって自分の思っている事を文章にシテ残している事にすら恐怖を感じていますそれと同時に恍惚に似たものも感じています。自分が分からない輪からなくなってくるどうやれば自分なんか分かるんですか! だれか助けてくださいよだれか何か教えてくださいよ。生きる方法をくださいどうすればこの世に自分を縛っていられますか? 自分がコの世から離れていくと思う時が度々あるんです。死んでるんじゃないんですけど、この世からどんどん遠ざかって遠ざかっていって。だめだだめだだめだだめだだめだだめだだめだだめだだめだだめだだめだだめだ! 何も考えられない間ともな事は何一つ。どうすればいいどうすればいい落ち着かせてくれ何かで抑えてくれ。望んでるだけじゃダメなんだという事も重々承知なんだけど。 何かを見つけたくても見付けられないどうすれば見付けられる? 何を見つければいい? どうやれば自分が生きている価値を見出せる? これってだれでも考える事のはずなのに、なんで私はこんなに切り離されている気がするんだ?
もうやだ。
「であるからしてえー」
と言うわけで
いきなりバナナの話ですが、バナナってバナナ吊りに吊っておくといつの間にか皮の一面がちょっと剥がれて、それにバナナがぶら下がっていると言う状況になった事ありません? あれ、バナナが少し古くなってしまうと起こる現象らしく、はじめてみた時はちょっとした衝撃を覚えました。だって、だってですよ。あれってバナナの傾き加減や剥けちゃった部分の長さを総合的に見て、どうみてもバナナが首吊ってるようにしか見えないんですもん。初めてウチでその「バナナ首吊り事件」が起きた時、思わず「バナナが首吊ってる」っていってしまい、それからと言うものそう言う事が再び起こった場合、「あ、またバナナが自殺した」などとウチの中ではバナナに対し擬人的な言葉を使うようになりました。因にいうと、今家にあるバナナはまだ自殺を計っていません。
部室にはちっちゃいロッカーがあるんですが、昨日、それがやっと一年にも割り当てられたんですね。で、先輩方が「好きなロッカーは早い者勝ちやでー」っていうもんだから、皆名前のシール(といってもばみりにマジックで名前書いただけ)もってロッカーに突進ですよ。そんな早い者勝ちロッカーの中には、すでに3年の先輩から一年に受け継がれているものもあったんですが、それが今から話そうとしている「勝手口ロッカー」です。ロッカーに、「勝手口」ってプラスチックの板がはってあるんですよ。それは同輩のみっつぃーに受け継がれたわけなんですが(因に私はその斜うえにある「取扱い注意」と印刷してある大きいシールが三枚くらい張ってあるSB先輩の上のロッカーを素早くとりました)、はい、勝手口。勝手口なんですよー。何で勝手口? (因にモウ一つSS先輩のロッカーにはチョッパーが二匹程吊ってあります。SS先輩はチョッパー大好き)。
私はくじ運がとことん悪い。今回部活で、3回くらいチーム分けあみだくじをしたんですが、3回とも思い通りのメンバーになりませんでした。ショックです。得に合宿の班分けで、なりたい人と全員はずれてしまったのがかなりショックでした。でもめげないよ。こんな事でめげいたら先輩に起こられるからね(とかいっときながら冥一杯めげています)。うちのはん、どっちかってとテンション低い人達が集まっちゃって、はい、もり上がりにかけとるというか。SB先輩の班がよかったなあなんて。だってあそこかなり盛り上がってるんですもん。あんだけ隣で騒がれるとこっちもどんどんテンションが下がります。ウチの班だけ静かに物事が進んでるんですよ。しかもそのすすみ具合が鈍いんですよ。あー。
「毒を飲ませたな……!」
何故私の書く話はいつも要領をええずまとまりが無いんだろうか
そう考える度に少し吐き気がする。
もっとちゃんとした話が書きたいなあ。とか思いながら、私は今回結局はいみのない事をしていたり。
「ねえ、ラビ」
「んー?」
「『神様』っていると思う?」
「神? 何でそんな事聞くの」
「なんとなく」
「何となくねえ」
「で、どうなんですか」
「んー、そうさなあ」
「はやく」
「神は……いない」
「やっぱり」
「何、やっぱりって」
「ラビはきっと僕と同じ意見だろうって思ってたんです」
「何で?」
「なんとなくです」
「……何となくねえ」
「よかった、ラビが僕と一緒で」
「なあ、アレンは」
「はい?」
「アレンはどうして神はいないと思うんさ?」
「え、だって本当に神がいるとしたら、今頃世界中が平和ですよ!」
「あー」
「神は全知全能なんでしょ。だと言う事は、世界の人々にとっていったい何が一番幸せなのか分かるでしょうに」
「まあね」
「それなのに何も手を出さないっていことは神はいないんですよ」
「んじゃあアレン」
「何ですか」
「イノセンスについて、説明出来る?」
「……え?」
「それならイノセンスは誰が作ったんさ」
「それは……」
「俺が思うにはな、神って言うやつに似ていたやつ。まあ言ってみればこの世界の管理しているやつかな。そいつは昔はちゃんとこの世界にいたんさ」
「じゃあいまは何処にいるんですか」
「死んだ。人間に殺された。過労死ってとこさね」
「うわあ、可哀想」
「で、そいつが死ぬ前に世界にあらわれたのが人間たちにとって怖ーい害虫」
「ダークマターとノアと伯爵!」
「ハイ正解。そこで、その害虫をやっつけるために現れたのが」
「僕達とイノセンスだ!」
「ハイハイ大正解。管理人は、因にそこで事切れちゃったわけ」
「うわあ、やっぱり可哀想」
「管理人のいなくなった今、この世界の運命はエクソシストとイノセンスに任せられてるんさあ」
「都合の言い様にしか聞こえなくも無いけど、なる程」
「だから結局は何があっても神はいないと俺は推測する。いたとしてもさっき言ったみたいな管理人であって、全知かもしれないけどけっして全能では無い」
「御苦労さまです管理人さん」
「ホント、迷惑かけちゃったんだなあ、俺ら」
「安らかに眠ってください」
「そうそう、後は俺らに任せるさ」
過労死の神様
ラビの言葉はそのままわたしの考えでもあったり。
何かDGアニメの劇場で、蚊になったティキがリナリーに潰されているところ思い出した。
「はやく出しなさい!」「ごめんなさい」「軒下に何を隠したの」「……これ」
意識 consciousness
人間に特有な心的活動の総体をいう。意識は人間の知識、感情、意志というあらゆる活動をふくみ、物質世界の反映としてなりたつ。意識は物質の発展から生じた産物で、物質の変化の発展段階で一定の物質的諸条件がととのうことであらわれる。まず人間以前の長期にわたる自然史的、生物学的な発展をへて、意識が成立するための生物学的、神経生理学的、心理学的な前提が形づくられ、感覚器官、神経系、脳髄にもとづいて心理的活動が発展してきた。これらは意志の形成に必要で不可欠な条件であるが、これらだけでは十分でない。これらの前提ができたのち、人間の労働、社会生産活動、これとむすびついた言語の発生による脳髄の発達、ここに意識の起源がある。それ以後、社会の発展するにつれて意識はその内容上でも構成上でも、豊かさをましてきた。
このように、意識は自然と社会との産物であり、物質的基礎と不可分につれているが、意識は物質ではない。その新しい質とは、社会的実践を媒介として物質的現実(社会的諸関係をふくめて)を観念的に反映し、また観念的にみずから再生産する能力があり、一定の構造をもち、一定の法則にしたがって組織されており、ただ物質世界を受動的に反映するだけでなく、それを能動的、合目的的に変革する気管として、社会生活に不可欠な構成要素である。その機能の点で人間の意識は、動物の心理とは原理的に区別され、つぎのような役割を演じる。すなわち、客観世界を認識する機能、未来を予測し目標をきめ目的をたて、かつその目的にふさわしい行動のための計画をつくる機能、決定し決断をくだす機能、さらに行動の規範、価値の設定、行動その目的、手段の評価の機能など。これらは化学、道徳など、社会的意識の諸形態を形づくる。こうして意識は複雑な社会生活を統御し、物質世界を実践的に変革する機関として役だつのである。
哲学史において意識と物質との関係の問題は哲学の根本問題であり、さまざまな形態の観念論は意識を物質から独立したものとみなし、意識一般とか絶対精神などをもって世界を説明してきている。→社会的意識、認識、反映論
イデオロギー Ideologie
観念形態とも言われる。元来は、フランス革命につづいてあらわれた観念学(ideologie, その代表者はデスティシュ・ド・トラシ)に由来するが、今日ではマルクス主義の用法で解されている。これによると、社会的意識において対照的に明確に形をとってあらわれたもの、宗教・哲学・芸術・道徳、また政治・法律・経済上の諸見解をいう。イデオロギーは、究極的には、社会の経済的諸関係、すなわち土台から規定され、これを観念上に反映した上部構造である。したがって階級社会のイデオロギーは、土台の生産関係を反映して階級性をおび、一様ではなく対立的なものとしてあらわれ、階級闘争の一貫としてイデオロギー闘争が不可避的になる。この対立では、物質的生産の手段を所有する支配階級のイデオロギーが支配的であるのがつねである。しかし、社会の革命的変革とともに従来支配してきた古いイデオロギーの諸形態は、あるいは急速に、あるいは徐々に崩壊する。このさい、土台にもっとも直接につながる政治・法制などの諸体系は急速に崩壊するがこれらより距離をおいている道徳や芸術のイデオロギーの崩壊は緩慢である。イデオロギーの成立・発展は、土台からの規定をうけるが、ここにみられるところからもわかるように、土台にたいして相対的な独立性をもっており、それは過去のその領域で成果を受けついだり否定したりすることによって成りたち、このようなその領域での発展関係をもちながら、その時々の社会的経済諸関係、土台からの規定をうけるのである。そして上部構造としてはこのように生じてくるイデオロギーは、これらがいったん発生すれば、土台に対して作用しかえし、土台を強化するのに役だちもするし、またそれらの変革を促進する働きもする。それは、精神活動を通じて行動する人間を動かす働きをするからである。なお、イデオロギーが社会的な客観的事態に規定されたその反映であることをみずに、この精神の産物に独立的な地位をあたえる見解は、虚偽な、思いちがいをした意識だとし、こうした意識のもとに考えられた観念の組織を、とくにイデオロギーと名づける場合も、マルクス主義の創始者達の用語にみられる。
哲学用語ホームページ一部抜粋
「わたしたちはそんなんじゃないのに」「どうしてだれもわかってくれないんだ?」
何がなんだか哀しいんだか
もう何もかも嫌になる時というのがこの人生には何度もあるもんで、私はいつもその瞬間を探しているふしがあるんですよ。いや、別に今日はそういう日では無かったんですけどね。今日は軽い孤独に嘖まれたくらいだったんですが。まあとにかくそういひもあるもんなんですね。私ってやっぱりネガティブなのかしら。
うー。テンションがだだ下がりしております。何をしても気分が浮上しないのは雨のせいなのかそうなのか。ねえねえねえねえねえねえ! なーんて、無理矢理テンションをあげよう人して失敗して馬鹿を見た。
デジャ・ヴュ
既視感(きしかん、仏:Déjà vu)とは、実際は一度も体験したことがないのに、すでにどこかで体験したことのように感じることである。日本語では「デジャヴ」、「デジャブ」、「デジャヴュ」)などとも呼ばれる。
一般的な既視感は、その体験を「よく知っている」という感覚だけでなく、「確かに見た覚えがあるが、いつ、どこでのことか思い出せない」というような違和感を伴う場合が多い。
「過去の体験」は夢に属するものであると考えられるが、多くの場合、既視感は「過去に実際に体験した」という確固たる感覚があり、夢や単なる物忘れとは異なる。
過去に同じ体験を夢で見たという記憶そのものを、体験と同時に作り上げる例も多く、その場合も確固たる感覚として夢を見たと感じるため、たびたび予知夢と混同される事もあるが、実際にはそうした夢すら見ていない場合が多く、別の内容である場合も多い。
既視感は統合失調症の発病の初期や、側頭葉癲癇の症状として多く現れることがあるが、健全な人に多発することも稀ではなく、一般的な感覚である。一般大学生の72%が経験しているという調査結果もある。[1]
過去の文学作品においても言及が見られ、近年現れ始めた現象ではないことを示している。しかし、実験で既視感を再現することは非常に困難であるため、実験を通しての研究法は確立していない。
記憶喪失や夢などのギミックと組み合わせて物語の伏線として利用されることもある。
既視感と逆に、見慣れたはずのものが未知のものに感じられることを「未視感」という。「ジャメヴ」、「ジャメブ」、「ジャメヴュ」(フランス語: jamais vu)とも呼ばれる。
ウィキペディア一部抜粋
話のネタを探し歩く夢遊病者
「空が赤いよ」「町も赤いね」「燃えてるのかな」「暑いのかな」
泣き虫毛虫!!
一昨日の追い出しコンパでまた泣きました。まあその話はこれくらいにして。
眠いです。今日はなんとも久々に4時半に目が醒めたと言うか携帯に起こされました。悪戯メールですよ怒畜生。こんな時間にイタメで起こされるって何なんだ。
「ハックルベリーにさよなら」
演劇集団キャラメルボックスの公演を見に行ってきました。部活招待だったので、交通費は除いてただです。うぇーい。スンごく楽しかったですよ。私感想苦手だからこういう事しか言えませんけど。
あと写真をバしばしとりまくりました。あ、もちろん公演のじゃありません。見に行く最中と帰り道の部員の写真をとったんですよ。部活は楽しいですそして虚しいです淋しいです大好きです。愛してます(結局はいったいどれなんだかね)。
「いつも思ってるんだけどさ」
「なに」
「私はいつまで生きていられるんだろうね」
「さあ、そんな事誰にも分からないよ」
「そっか、そんな事分かるのは神様くらい?」
「あんたばかだねえ」
「え、何で」
「かみなんでいないのよお
「夢なんて物は見るんじゃない。見せられるんだよ」
夢
夢(ゆめ)とは、睡眠中に起こる体感現象の一種。また、見た者の将来に対する希望・願望を指すか、これから起き得る危機を知らせる信号とも言われる。転じて、希望や願望そのものをさす場合もある。
夢は、人によってさまざまであり、同一の人でも知覚する現象が千差万別である。ただし、睡眠時の肉体が感じている外的な知覚が夢に影響することが知られている。寝ている人の顔に短時間、ハンカチを被せた所、夢の中で顔に何らかのものを押し付けられる目にあったという複数の報告がある。特に尿意が夢に反映されやすいのは良く知られており、排泄に関わる夢を見て目が覚めたら、膀胱が限界に近かったという事例は非常にありふれている。
夢の知覚には、性別や年齢によって傾向があるといわれる。男性より女性の方が色が付いた夢を見やすい、などがあげられる。
夢では視覚だけではなく、聴覚・触覚・味覚・嗅覚においても何らかの刺激を感じるといった報告がある。上記の通り、どの感覚においても、人によってさまざまであり、同一の人でも時には感じないこともある。ただし、触覚のひとつである痛覚については、ほとんどの事例で「感じない」とされている。
一説では、夢自体は「白黒」の映像として視覚のみ投射されているが、それを知覚、認識する脳がこれまでの経験における適切な情報を付加しているとされる。これは、脳にはその所有者に対して都合の良いように処理をする性質によるものであり、覚醒時でも、とても色に敏感な人が「白黒映画」を見た際にもあるはずのない色を感じるのと同様な情報操作が、睡眠時に行われていると考えられる。
夢には時間軸が存在せず主観時間でのみ知覚しているとも考えられている。これは、目が醒めた時点で記憶されている夢の多くは覚醒前20分以内に見た物とされているが、夢の中では実際の睡眠時間よりも長い、数時間〜数日に感じたというケースが多いことによる。
寝ながら見る夢では、その人の普段は抑圧されて意識していない願望などが如実に現れるケースも多いとされる。ただ、それらは誇張されていることも多く、結果的に現実としては不可解な現象で表現されることが多い。
また、普段の生活から興味がある現象について夢を見やすいといわれている。具体的には色に興味がある人は色が付いた夢を見る、などである。
覚醒時に考えていた(悩んでいた)事が影響するケースも多く、考えていたテーマに新しい着想を夢の中より得た事例もある。科学史研究者の間ではこのエピソードは後に創作されたもので事実ではないという見解が定説になりつつあるが、ベンゼン環の分子構造を解明したドイツの科学者フリードリヒ・ケクレは、夢の中で尾を咥えた蛇を見たことが解明の糸口となったと述べている。文学に於いてはブラム・ストーカーがカニを食べ過ぎて悪夢を見、これを元に吸血鬼ドラキュラを書き上げている。この他にも、重要な発見や発明、芸術作品など、夢で得たイメージを元としている事例は多い。
夢と占い
夢占い(あるいは夢判断)では、夢は見た者の将来に対する希望・願望を指すか、これから起き得る危機を知らせる信号と考えられている。また、おきた現象がそのまま実現する夢を予知夢と呼び、可能性がある夢を詳細に検討する場合もある。
明晰夢
通常、夢を見ているときには自分で夢を見ていると自覚できないことがほとんどであり、覚醒するまでは夢であることが分からない。これに対し、夢の中でも自覚している現象を明晰夢と呼び、その場合には夢の内容をコントロールすることも可能であると言われる。このため、望むままに夢が変化することも多いため、願望を(現実ではないが)叶えることができるとされる。
覚醒中に「見る」夢
白昼夢(白日夢)とも呼ばれる。目覚めていながら夢を見ているかのように現実から離れて何かを考えている状態をいう。夢を見ている自分を自覚できること、夢の内容を自分でコントロールすることができるという点で、通常の夢とは異なる。現実で満たされなかった欲求や願望を空想する例が多く、精神疾患の一つとする見方もある。
ウィキペディアより一部抜粋
「あ、なにこれ」
泣きたいですけど泣けないです。人間の中にいるのが怖いです。写真をとって記録するのは好きです。でもその中に自分がはいるのは嫌いです。
写真をとる時自分を入れないのは、多分その場から自分を消すためなんだと思う時があります。最近よく、「消えたい」と思う事が多いんですが、それを実行するのに、写真はとてもよく働いてくれます。いつもいる集団の写真をとって、でもその中に自分を一枚も映さなければいい話なんですからね。そうすれば、自分がとってるんだから自分は確かにそこにいたんだけど、でも自分がソコニイタと確かめるものはそれ以外何もないわけで、その時点でその世界の私の存在と言うのは虚ろで、イルノカイナイノカ分からない。もしくは消えている。簡単ですよ。すごく簡単。私がその場に、その中にイタと言う事は、その写真の存在ではっきりします。でも、その中の一枚にも自分を入れなければ、この世界から自分を少しだけ切り離して、その切り離した部分の自分を消せる気がするんです。へんですかね、この考え方。
べつに、写真に写るのが嫌いと言うわけではありません。寧ろ好きな方です。でも、それはダレカ別の人のカメラに写った場合の話で、自分のもっていたカメラ等に写った時、何故か私は恐怖に似たものを感じるんですよ。自分がそこに存在すると言う事実と、それを自分自身が、こういう形で確かめてしまったと言う事とが。どうしようもなく怖くなって、その画像だけ消してしまいたくなるんです。でも、今度はその消すと言う行為が怖いんですね。最初からないのと、あったのに消すと言うのじゃ全然違うんですよ。自分の手で、削除する。ボタン一つで、自分をこの世から消す。それってすごく怖いんです。
「『耳をそろえろ』とはいったが……だからって」「何か問題でも?」「だからって耳を削ぎ落としてもって来るなああああ!」
撃沈!
何か酷くないですか? せっかく一所懸命に書いてたのにその途中でパソコンエラーでたんですよ! しんじらんない。最悪です。さっきの文章もう一回書くのはちょっとげんなりしますんでいまはもう愚痴しかいいません。
Souljaの曲が耳に響きます。やっぱりこの人の声好きだあ。
他にも色々保存中の画像いっぱいあったというのに、なんでエラーなんかになるかなあ。このパソコンのかたが古いせいできっと普通のパソコンが絶えられる主さに絶えられないんですねこのヤロー。何でなんでしょううちのパソコン古いかたばっかりなんですよ。というかマックばっかりなんですよ。いや、マックが嫌いっていうわけじゃないんですけどね。マックじゃできない事って結構あるもんですから……。世界中のネットがマック中心に動いてくれたらいいのに! と常日頃願って止まない。
わたしはパソコンのエラーとフリーズを心底憎みますよ。今回書いていたものが小説じゃなくて日常のことだからよかったものの、小説書いてる最中に落ちたりなんかしたら渡し逆上しますよ。すでにはらわた煮えくり返るとまではいかなくてもかなりイライラしてるんですから。まったく。パソコンが悪いのかネットがわねいのかはたまた場所が悪いのか(自分の扱い方が悪いとかは考えないのかおいおい)。
只今テスト期間中というのにD.Gray-manの絵を書いてるという有り様でえす。アレンとラビを交互に今の所かいていたんですが、次のアレンのネタがなかなか思い付かない(というか私はDGの絵をかく時は必ずとイッテイイ程単体ですねえ)。昨日最後にかいたラビがかなり上手くいって満足です。あとはこの下書きにペンを入れて色を塗れば完成なんですが、この「色を塗る」というのを、パソコンで塗るかアナログで塗るかというところでなんか迷ってます。色を塗る昨日が今つかっているパソコンにはついていないので、やるとすれば父のパソコンをつかう事になるんですが、父のスキャナー色合わせをしていないもんだから取り込んだものの色が変色するんですよ。データに取り込んでみると。だからちょっとまよってるんですよねえ。でも原画にアナログで塗ってしまうともう修正きかないし、パソコンで塗りたいと思っても遅いじゃありませんか。だからね、かなり躊躇してます。せめて父のスキャナーの色合わせをしてくれればいいというのに……。でもそのうち一枚はさっさと塗ってしまわないと、共同HPの片割れに迷惑がかかってしまうんですよねえ。ちくしょー! どうしようもねえ! どうすりゃいいんだよ。
「鳥目で鶏頭で根性はチキン」「まあ、どうしようもないトリ尽くし」
こう茶飲みながら昨日かいた絵を見ていて思い付いた。
目の前に広がる光景に唖然としながら、ラビは「それ」の中心で、ホッコリと紅茶とスコーンを楽しんでいるアレンに尋ねた。
「なあ、これ何?」
「はい? 何ですかラビ」
「だからこれ、何?」
「アフタヌーンティーですが何か」
「いや、それにしてもこれは——」
How is the tea ?
これは度が過ぎてるだろ——
アレンの周りには、大量のお菓子がはいった大きな(いうなればヘブラスかが茶碗につかうのにちょうどいいくらいの大きさの)バスケットと、ところ狭しと置かれている無数のポット。それに並んでマグカップくらいの大きさのミルクじゃグも数十個。砂糖ツボが、もうつぼとはいえない大きさの物が一つ——数千人ぐらいでアフターンティーができる程の量がそこにはあった。
ラビは苦笑いを浮かべながら、それらの物を踏まないようによっこらしょとアレンの側にいって隣に座った。アレンはそれをきにしない様子で紅茶を飲んでいる。どうやら、今はラビよりも目の前の食べ物の方がいいらしい。ラビは、彼の質問に答えてからいっこうに喋る気配のなくなったアレンの前で、数回てをふり、頬を引っ張り、脇腹をつねってみた。それでも反応はない。
「アレーン」
反能無し。
「ねえ」
アレンはスコーンを手にとると、まるまる一個を一口で食べた。
「聞いてる?」
せっかくアレンの為に長期のはずだった任務をたったの一週間でかたずけてきたというのに、当の本人はこうして食べ、飲む事に集中し、恋人には全然構ってくれない。そういえば一ヶ月程前、「俺が食べ物持って崖から落ちかけてたら、どうする?」と、思いつきで質問してみたところ、「食べ物を受け取ってさっさと帰ります」と即答された事があった。ラビは改めてアレンの食い意地にちょっと虚しさを覚えた。
「アレンさーん」
ラビの事は視界にはいっていないのか、ラビが顔をアレンの正面まで持っていっても、アレンはスコーンにラズベリージャムを塗るばかりで、無視しているのか気がついていないのか。とうとう業を煮やしたラビは、アレンの手からスコーンとジャムスプーンをひったくり、手を彼の頭の後ろにすばやく添えた。そこでやっとアレンは我に帰ったのか、目を見開いてラビを見つめた。
「え、ラ——」
何かいいかけたアレンの言葉は、あっという間に力任せにキスをしたラビに封じられてしまった。アレンは息をする間もなく口を塞がれ酸欠になり、手足をばたばたとさせて何とか逃げようとしたが、ラビの方が力は強いもんだからびくともしない。酸欠がそろそろ危ないところまで来て、アレンが意識を失いかけてときようやくラビはアレンから一度離れると、今度はアレンにガバリと抱き着いた。息がつまって苦しい。
「ちょっと、ラビ! く、るしい」
「人の話ぐらい聞けよ。せっかく帰ってきたのにさあ」
拗ねたような声でそういうラビに、アレンはやっと自分が紅茶に気をとられていた事を思い出した。ジェリーの新作の紅茶や、菓子を試食していて、すっかり夢中になっていたのだ。さっきラビの声に返事をしていたような気がしたのは気のせいではなかったらしい。
「……ごめん」
「しばらく離さないさ」
「うん」
更に抱き締める腕に力を込められ、アレンは死にそうなくらい苦しくなったが、今のラビには何をいっても聞かないだろう。拗ねた兎はとにかくしつこい。仕方がないなあとアレンはため息を吐くと、スコーンとジャムスプーンを奪われたまま宙に浮いていた腕をラビの背中に回した。
「ここがどこか分かってるのかしら」
「さあ、忘れてるんじゃないか?」
「ちっ」
それをすぐ側で見ていたリナリー、リーバー、神田は、彼等にここが食堂だという事を思い出させてやるかどうか、しばらく悩んでいた。
二人でお茶でもしようじゃないか
かなりぐだぐだ。勢いで書いただけの小説です。というか、大量のポットに囲まれているアレンが書きたかっただけだったり。
「別に助けてくれなくてもいいから」
「夢を見よう」とはいうけれど、夢の見方なんて誰が分かるかっての。ひとり布団のなかで、ふと思い付いて自分で突っ込んでみる。特に最近はいくら夢を見ても起きた時には忘れちゃってるから、この項目なかなか記事数が増えない。「じゃあ消せばいいじゃないか」とか一瞬思っても、でも、それでも覚えていて夢を記録したいことには代わりがない。で、そこででてくるのがこのブログなわけですね。一番そういう事をするのに手っ取り早くて簡単お手軽。昔はブログのそういうところが好きになれなくてやってなかったんですが、一度やり始めてしまうとこれははまるというか、週間づいてしまうもんですね。
おっと、話がそれた。
私は昔から、一度覚えた夢は結構長い間覚えている方なんですが、それがいけないんでしょうか? 自分の脳に、それが邪魔で飽きスペースがなくなって、他の夢が記憶できないんでしょうか。というような事も考えた事があります。でも一番よく夢について考えるのは、「夢は記憶の整理っていうんだから、そんな記憶の整理まで記憶してたらきりがない」。でも実際そういうことをしているわけで、だから夢の続きなんていうものも見れるわけで。でも夢を見るためにずっと眠っているわけにもいかないでショ。そこで起きるでしょ。するとね、するとやっぱり忘れちゃってるんですよ。キレイさっぱりだったりぶつぶつだったりと色々なパターンありますけど。
夢が消えるって哀しいね。
昔見た夢を整理しようとしても、できるように量じゃない。似たようで違う夢が、五万と存在するわけで、それをいちいち分類して違いを見つけて、記憶している事をことこまかく書く気にはいっこうになれないというのが現状。でも、人に喋るのは大好きだったりするこの矛盾(ダレカ私ノ話ヲ聞イテクレー)。夢の世界は私の世界であり、夢の世界は異世界別世界。別次元への入り口だと考える事だって容易であるわけで、ま、そこは想像力に流されるままに考えていけばいいのだ。たかが夢されど夢夢は侮れないもんですよ結構。「ゆめゆめ」とうてば、出てくるのは「努々」だって? 何でそんな変換になるんだか。とにかく夢は見たくても見れないみようとすれば書き消える。掴めそうで掴めない、捕まえる事は至難の技(おうい、そこのゆめ、とまりなさあい!)。夢警官、なんちって。夢の管理者というものはいるんだろうか、だいたい、人が見た夢はいったいどこへ消えていってしまうんだろうか。人は夢を見ている時、いったい何をしていて、どこに本当はいるんだろうか。夢とはいったい正体は何何だ?
いっしゅん、この項目を増やしたいがあまり、自分で考えたうそデタラメの夢を書いてみようかと思ったけれど、ソレハある意味夢への冒涜であり、ある意味尊い行動だから、ま、いってみれば私のような人間がやっていいというようなことではない事は確かだ。夢は自分の手で作れるようなものじゃないんだから。ね。それを理解していない人間ってこのヨにいくらぐらいイル? この世界の人間の夢への意識はいったいどのようなものだと思う? 夢はいったいどういう受け取られ方をされ、どういう風に愛されている? そしてどういう風に憎まれている? 夢を見たくない人だってこのヨにはいる。そういう人から夢を摘み取って、自分の物にしては何故いけない? 摘み取った夢はすぐに枯れてしまう。色褪せてカサカサと乾いて、味気も何もない。瑞々しさはなくなって、乾物よりも酷い有り様。ぐずぐずと崩れて、最後には跡形もなく塵となって風に吹かれて消えてしまうんだ。そんな夢は大切に栽培しいとイケナイ。刈り取るのは夢が熟してから。熟した夢こそ本当の夢。夢の欠片を宿す塾した甘い夢。早速それを食べて美しい夢を見ようじゃありませんか。そして序でにそっから新しいたねでもとってきたらいかがですか? 皆で夢を栽培しよう!
ゆめゆめゆめゆめゆめゆめゆめゆめゆめゆめゆめゆめめめめゆめゆめゆめゆめゆめゆめゆめゆめゆめゆめゆめゆめ。
「苦しまないで殺せる方法を教えてください」「誰を殺すって?」「あなたを」
さっさとさっさと小説書いて絵も描いて、とにかく何かが作りたいー。絵はちょくちょく描いてはいるもののやっぱり自分の思い通りに線が紙に乗ってくれなくて日々イライラがつのるばかり。どうすりゃこの手と鉛筆は言う事を聞いてくれるんだろうか。頭のなかに出来上っている絵の通り、どうしても仕上がらない。満足のいくものができない。どうしてもどう見たって未完成になってしまう。満足出来るものなんてたまにしかかけないんですから嫌なもんです。
自転車で帰りながら空を見るって楽しいですよね。危ないけど。
空を描こうとした事が今までにいったいなんかいあった事か。なのに描こうとする度にやっぱり私の手は思う通りに動いてはくれないんです。空かせのっぺりとしたただの水色の壁のようになってしまう。奥行きがなくって、まさに壁。そんな空に張り付いている白い塊は雲。精一杯フワフワと霞のようにしようとするのに、どっちかっていうと霞じゃなくて汚くなった蜘蛛の糸が張り付いてるみたいになってしまっている。空を描くのがどうしても苦手。空が上手くいったとしても、今度は雲が書けないんですよ。空かせ上手くいっても雲の時点で即アウト。私の描く空はやっぱりただの壁に成り下がってしまうんです。
華を見るとどうしてもその内部が知りたくなって来る。
華は、私が好きな描くものの一つですが、その理由は、「別に本物なんて描かなくていいんだもん」「好きなように自分で考えた華を描いていればそれでキレイに見えるんだから」というふざけた信念からだったり。「そんな気持ちで華を描くなら一生絵なんて描くな!」と、私のなかのもう一人の真面目な自分はいうんですが、今表面に出ている私、ルーズな方は全然無視して一人で突っ走っております。どりゃああああああ! 主線がある絵は実はソンナニ好きじゃなかったり。というのは昔の話で、今は嫌いというわけじゃないですね。今はどっちかっていうと下書きの線が好きです。絵の具の下に薄らしたがくの線が残ってる作品って綺麗なものはキレイだなって思います。因に私が描いている水彩やとかしたアクリルをつかった絵は皆下書きが見えています。
画材は幸せを呼んでくれますよ。
色鉛筆とか、パステルとか、クレバスとか、水彩とか、アクリルとか、ポスターカラーとか。とにかく私は画材を見ているだけで幸せな気持ちになれます。とくに、絵の具とかパステルなんかは見ていて幸せな感情が沸き上がってくるスピードがはやいですね。文房具やにいくと必ず張り付くのは画材売り場。画材屋さんがこのあたりにあまりないもんだから、遠出した時に「画材屋」という看板やロゴを見ると、車から乗り出す勢いで見つめます。画材が大好きです。そんでもって、傍らに画材と画用紙やキャンパスがあればそれだけで私は幸福感に包まれます。実際につかわなくても、それらを見ながらそれらをつかうところを想像するだけで満足すらできちゃいます。なんだか画材の話してるだけで幸せになってきた。ちょうど隣には三菱の色鉛筆があります。この色鉛筆発色がいいわけじゃないけど、紙へののりが結構いい方なので気に入ってます。
「無論、生きてなきゃできねーよ」
今日は試験中に何故か哲学について考えてたりした。まあ、そんな事は関係ないんですが、どうも日記って言うものは私には向いていないのか、なにを書けばいいのかいつも分からなくなるんですよねえ。強いてなにかがあったわけでもなく。いうなれば今日は「モンク5」を録画していたものを二話続けてみたと言う事くらいか。先に見た方の話で、モンクがかなり可哀想だった……。
時間ってのはあっという間に経っちゃうもんですね。なのに思い返してみるとつい昨日のことがもう大分昔のことのように感じてしまう。その逆では、随分前のことが昨日のことのように思える事も多いです。夢のなかの出来事が現実と区別がつかなくなって、頭が混乱する時も有れば、現実よりも夢のなかの方が幸せな時も多々有り。あーあ、何で現実はこんなにも哀しくてつまらなくて、それなのに楽しくて面白くて素晴らしいんだか。結局どっちかって言うのは分からないんですよね。ま、とにかく生活を楽しくするのに必要なものは有るんだから(足りないけど)文句は言ってられませんね、モンクみたいに。
「あ! 自転車が空飛んでる!」「え、E.T.?」
相変わらず幸せなのかそうでないのかよく分からない人間がここにひとり。いや、きっと幸せなんだろうなあ。あの頃からじゃ想像できないくらいの幸せ。でも、人って満たされるとすぐに別の物がもっと欲しくなってしまうもので、そんな自分がなんだか物凄く嫌い。なのに、結局は好きだったりする(私の持論は「人は自分が嫌いだと自殺する。と言う事は私はまだ自分が好きなンね」持論じゃねー)。
今の私が置かれている状況は、きっと世界中に五万と有るわけで、そんなことでグチグチ文句をいってられるわけがないのだ。うん。なのに私はグチグチ。父親の変な癖が移ったのか元々の遺伝なのかはさておき。
只今顧問からメールが届き、「高校生のための戯曲講座2008」というもののメンバー募集をやっているそうな。うわー、やりたいー。ん? でもこの日付けはちょっとなあ。というか詳しい事もっと送ってくれー! これだけじゃ内容が殆ど分からないじゃないかアー!
因に課題は、「あの時の自分に今、言ってやりたいこと」らしい。うん、そういうのなら結構たくさん有るよ。わたし。ただ問題はそれを文章に出るかどうかであってでなあ(作文なんだよそれが)。私は自分が考えている事を文章にするのがとてつもなく苦手だから。しかも応募締め切り間近だそうです。おいおいおい……。
私は台本書いてみたいと思ってるわけデースーがー。そう言うのに参加出来る程胆座ってるわけじゃないからね。うん。こわいよこわいよこわすぎるよ。未知の世界ですよ。戯曲なんてまず書いた事ないし、いきなり講座ですかい。私には無理! とかいって今まで色んな楽しい事をやりのがしているわけです。私は。うわあ、かーなしーい……。
ということで、今回のは出てみたいなあなんて思っているわけです。でもね。でもね。やっぱりこれはちょっと情報がなさ過ぎだと思いませんか(ここにその情報とやらを書いているわけではないが)。小心者の背中を押すにはちょっと足りなさ過ぎではないか? もうちょっと情報プリーズ! ギブミー!



























