はしっこで独り言
音湖の日々を記録する場所。METEOSとラビアレ史上主義の腐女子ブログです。というか最近はなんか部活の話が多いなあ——HPの方から来た方はブラウザで戻るか横のリンクからもう一度入ってください
「アコースティックギターの音はとても美しい」「それが今芸人によって壊されようとしている」「何という事実」

妹にヒュージィをかけといわれ、その場で思い付いた限りで書いた。
ああ、改良が必要だなと思った一瞬
神がいる事を前提に物事を考えるのと、神がいないのを前提に物事を考えるのとでは、どちらの方が理性的か?
哲学ファンタジーを読んでいる最中にふと思った事。私は無神論者なもんだから後者の方が理性的だと思うが、有神論者はやはり前者と答えると思う。
でも神がいるという概念は人間がつくり出した、考えだした思いきり尾ひれのくっついただの願望なんじゃないかなって。
神は人間が想像したものであり、人間が神に創造されたわけじゃないんですよね。そんな人間の想像の産物に創造されたという人間はかなり滑稽だと思っていいと思うんです。
まあ、神が本当にいるとしたら、それは人間がこの数万年間神を信じてきたというあたりで、その人たちの思念が集まり思念体としてはどこかにいるかも知れませんが、この世界を創造したのが神であるという考えはかなり間違っている。
それか、もしも「神が人間をつくり出した」という考えではなく、「人間を作ったものは神だ」という考え方なら、それなら神というのはこの地球や宇宙という事になります。でもそれは人間のいう「神は自分の姿に似せて人間をつくり出した」という考えがある場合はどうなるんでしょうかね。というかこの考えも思いきり人間がつくり出した概念からきていると思いません?
神がいると証明する事ができる人はいないし、いないと証明出来る人もいない。そうすると、経験主義で考えればここはヒュームのように答えが自然に出てくるまで放っておく必要があるんでしょうか?
さてと、最初の問いに戻りますけれど、
どちらが結局理性的かといわれると、きっと今この状況ならどちらもそうでありそうではないという微妙な答えになってしまうような気がします。というかそういう風に答えてます。
結局は神の姿だって世界の創造された時の話だって総べて今の人間に概念がなかったらうまれなかった話ですからね。それに、今こうして考えてみると、人間って作り話が好きなんですよ。その作り話の中に神というカテゴリーを作っても私は可笑しいと思いません。事実、姑くの間信じられてきた「アダムとイヴ」のはなしだって、今じゃただのメルヘン扱いですからね。人間は作り話が大好きなんですよ。
神は人間が不安なものに大して安心感を取り戻す為に利用するための道具だと私は考えています。どんなにあり得ない事だって、「これは神からの思し召し」「神がワレワレに罰をお与えになった」と考えれば簡単になります。不安になる必要なんて何処にもない。
神は弱い人間の心の最後のよりどころって所でしょうか?
ま、こればかりが答えというわけでもないですから、そのうち何かまた新しい発見をするかもしれませんね。
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