はしっこで独り言
音湖の日々を記録する場所。METEOSとラビアレ史上主義の腐女子ブログです。というか最近はなんか部活の話が多いなあ——HPの方から来た方はブラウザで戻るか横のリンクからもう一度入ってください
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「どん底って一体どんな『底』なんだろうといつも不思議に思うんだよ」「じゃあ俺が『どん底』をみせてやろうか」
最近出回っている
横書きの小説をどう思うか
基本私は縦書き推奨派です。そりゃ、パソコンやケータイは皆横書きですが、それは画面の問題であり、もともと私はこの横書きをとても読みにくいと思っています。だって日本人はげんらい、右から左へと文章を読むのが基本で、それはこの長いようでい短い歴史にすっかり刷り込まれているわけです。それなのに、今さらなんですか。ちょっと外の物が流れ込んできただけでそれに染まりおって。
私は、本を読む時は縦書きでないと落ち着いて読めません。それでも、ちょっとは文字が小さくて詰まってりゃ読むかもしれませんよ。ないようが読みたいものであれば。でも、どう見てもあの横書きの文章はめがばらばらのすかすかで行の間にもう一行入るんじゃないかってくらい空いてて、それでいて文字はとても大きい。しかもわざわざ文と文の間に大きな切れ目を作って空白を作る。画面がどう見ても、ケータイ小説やインターネット小説の時の画面のまんま。まんまです。かなり読みにくい。内容もうすぺらい。ちくしょうが。
なーにが等身大小説だ。要するに読む方の力が失われているわけだ。ああ情けない。
ちょっと私の悪いくせが出てきたけど、まあ底はおいといて。
今日の朝起きて、パソコンの上を見てみると新聞記事がおいてある。何かなと読んでみると、見出しは
縦書き、横書き
知的行為に関わる決定的な変化
でした。産経です。
いつも私がこのことについてぐだぐだ愚痴垂れているのを聞いていた母が切り抜いておいてくれたらしいです。感謝感謝。
そこに書いてあったのは、何故にケータイ小説があのような形になったかという簡単な説明と、今の「読書」にかんする若い人の姿勢や、あと、横書きがどれくらい世の中に浸透しているかという話でした。うーん、読んでいてどれもこれも癪に触る話ばかりでしたねえ。
「しかし、若い女性は『縦書きなんか、読む気がしない』という」って……阿呆かああああああっ!!?
何処まで日本人の能力落ちてるんだと思いました。というか日本人の日本人たる由縁の一つを何故こうもばっさり切り落とすみたいな言い方ができるのか私には理解が出来ない。縦書きが読む気がしない? 私は横書き読む気になれないよ!! 若い女性ってどの年代のこと指してるんだろうね。OLあたりも含めてるんだったら私、その読みにくいっていった人蹴り飛ばしちゃうかもしれない。あーむしゃくしゃする。
これって絶対活字離れのせいだと私は思うんですよ。活字離れという現象が起き、よって高い技術を必要として綴られた物語を皆が読まなくなった。そこで登場するのが暇人なケータイ崇拝者。暇つぶし程度にケータイで「自分でも読める」と思った簡単で把握しやすい内容の文章を探し、もしくは書いて、それがたまたま人間が一番感じやすいというらしい「感動」の感情に触れてしまい、周りからの阿呆なしじで文章力もないのに高々と祭り上げられる。そこで勘違いが発生する。
こういう話で良くあるのが、「皆がいうから」。皆がこういっているんだからきっとそうなんだろうという思考で、祭り上げられた本人はすっかりその気になってしまい、メディアはメディアで、これだけ騒がれているなら絶対に売れる。と、「売る」ことしか考えずに動く。そこで出来上るのがケータイ小説といわれる横書きのチャラチャラでまるで子供の書いたような本。それが、今日のような、内容がうすぺらいにもかかわらず大ヒットという異常事態を起こすことになる。
例えば、「恋空」について少しゆってみれば、ああいう話(私はあらすじだけしか知らない。あんなもん読む気しない)はよくあるパターン。つーかもう出尽くしているパターンで、本来なら何の興味も湧かないような話のはず。それが何故こんな反響を呼んだか。
そりゃもちろん、「活字離れ」が原因だと私は思う。
今まで出尽くしたパターンが、活字離れにより今の多い世代にあまり読まれなくなってしまったんだと思う。大抵話題を呼んでいる今の映画化、もしくはドラマ化される小説は、結構目新しい話の構成が多い。そんな在り来たりのパターンの小説がそういうメディアで日の目を浴びることはめったにないと思う。それがどうたで。ケータイという、今最もみじかな通信手段兼インターネットへの接続が可能な機械で、そんな「在り来たり」が出た。ところが、読み手はそんな「在り来たり」を知らない。それが何故か「感動」を呼ぶ(このあたり、私は全然参加していないから、どんな形でどういう風にそれが感動を呼んだのかは全く知らないのでここは推測だけれど)。メディアが取り上げる。瞬く間に、「忘れ去られていた在り来たり」が「目新しいもの」として受け入れられてしまう。
これ、どうよ。
もちろん、私みたいに本を翌読む人、それ以上読みあさる人なんかの中には、私みたいに不愉快になっている人もいると思う。で、そこであらわれるのが「本をよく読むけど流されやすい人」。そういう人たちもケータイ小説を買っちゃう。しかも、この世界は不思議なもんで、どれだけ本をよんでいても「在り来り」にぶちあたらない人だっているわけだ。そういう人がやっぱり感動しちゃうともうどうしようもない。今見たいな状況に陥るわけで、それってとっても情けない。ああ、情けない情けない。
それでも、縦書きなら私はまだ「試しに」と読んでいました。だって興味はあったもん最初は。でも、いざ実物を見た時に意気消沈。「子供の読む為のやさしーい本」見たいなもんが書店の目立つところに堂々と平積みされている。さて、それだけでも萎えるのに、仕方がないから中身だけでもと本を手にして、はた、と首をかしげる。あれ? 何でこの本、左開きなわけ? 教科書じゃあるまいし。で、嫌な予感がしながら表紙を開けて絶句。しばらくその画面の状態になれようとして少し読んでみるものの文章の内容は軽いもんばっかりで頭の中を素通り。十数秒後には他の文庫や、外国の本の方に移動しているという状況になっていた。そのご、ラジオで「プロの小説家」という名目で招待された「naho」という人の書いた「ランウェイ・ビート」。しつこいくらいに「いい話いい話」というから興味が湧いて書店にいってみるものの、撃沈。「恋空」の時と同じ状況に陥ったとさ。
あー、日本人の精神的年齢がどんどん低下していく。
そろそろ時間もなくなってきたんで、この続き(続きあるんかい)はまた別の機会に愚痴ろうかと。
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画面の問題?
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問題は画面ではなくて、技術的な問題。外国人のプログラマーが作ったソフトウェアをそのまま使っているだけだから横書きが主体になってしまうのは当然。縦書きに精通した日本人がしっかりと縦書きに対応したソフトウェアをOSレベルから作るようになれば、パソコンの画面上で縦書きを読むことには違和感がなくなるはず。
なんだかんだいって、ブログで横書きしてたら何を言っても説得力がない。
横書きは首を横に振りながら読むから「否定」の意識が潜在的にある。
縦書きは上下運動になるから、その「うなづく」動作から「肯定」の意識となる。
つまり、読み手を説得するには縦書きの方が理想的なのだ。
このコメントを見て「否」と否定したくなったら、それはたぶん、これが横書きだからだろう。(強引な仮説ではあるが。)