小説を書く時に何時もいつも思うこと。「私は一体何が書きたいんだろうか?」
小説というものに興味を持ったのは何時だったか、今ではもう殆ど思い出せないけれど、一番最初に書いていた『物語り』はネコの話だった。
その前にもやはりネコの絵本を書いていたけれど、あれはアクまで『絵本』だから勘定に入れないことにする。では、何故その最初に書いたというネコの話を『小説』ではなく、『物語り』と言ったのか。それは至極簡単なことで、ただその話が小説とは言いがたいできだったから。あの話を書いている時から、私はその物語をあまり楽しく書くことが出来なかったのを覚えている。発想がとても子供じみていて、それには自分では気がついていなかったけれど、自分の書いている文章がどうしようもなく下手くそだったことは分かっていた。書きながら、こんなものではいけないと何度も思ったし、書き直そうとも思った。けれど、そう思えば思う程なんだかどんどん書く気が失せてきて、今ではその話には一つも手を付けていない。ほったらかしの状態。
その話を書かなくなってしばらくし、中学に上がってから。私はふと思い付いてクラスメイトの名前をもじって全く違う名前にして遊んでみた。すると、その名前をみたとたんなんだかそれぞれに個性が見えてきて、私の頭の中で数人がかってに動き出した。その時はそのことについて何も考えず、ただ思い付いた自分に少し感心して終わってしまった。
その後、しばらくすると頭の中に変な渾名をつけられてしまう女の子が思い浮かび、私は思いつきでそのこにちょっとしたプロフィールを付け、勢いにのってそのまま小説の設定を考え始めた。何故そんな風な流れになったのかは今でも分からないけれど、その時に昔もじって遊んだクラスメイトの名前を使い、別のキャラクターも登場人物として作っていた。
別にクラスメイトと仲がよかったわけじゃない。ただ単に、名前とちょっとした性格設定の材料に使わせてもらっただけで。むしろ私は虐められていたくらいだった(別に小説を書いてたからと言うわけじゃないちゃんと友だちと言えると思える仲のいい人もいた)。
今じゃその小説は書き直し決定の没ネタとして扱われているけれど、もちろんキャラクターは私の中で今も生きている。というより、私にとって彼等は最初からいる人物だから、生きているのも当然だけど。
「私は一体何が書きたいんだろうか?」
昔は別に「何か伝えたいことがあって書いていた」わけじゃなかった。今もそれは変わらない。どちらかと言うと、伝えたいものはないかもしれない。じゃあ、伝えたいものがないのに何故小説を書くのか? それは小説が私の心のよりどころと言うか、心を落ち着かせてくれるものの一つだからだと思う。私はたいていの場合何かを怖がっていたり疑っていたりしていて、いつもびくびくしている。小説を書いている時はこれがない。びくびくするのはするんだけど(だって書いている内容がないようだから)そういう、何かに怯えてびくびくしているのとはまた違う。どちらかと言うと、自分の領域を守る為に回りに悪くない意味で注意をはらっていると言うか。
私の書く小説は、私の気持ちと直結していることが度々ある。小説の内容が暗ければ、それは私が暗い所に落ち込んでいる時に書いたからだったり、小説の内容が明るい時は、気分が高揚しているか落ち着いているかのどちらかだったり。気分によって小説の内容がが左右されていると言える。
でも、小説を書いているあいだに気分が落ち込んだり高揚したりと変化することもある。それはたいてい小説の内容が関係しているけれど、それは私の感情の方が先ではなく、小説の内容が先だったりする。自分の書いた小説の内容に感じようが左右されるなんて、なんて滑稽だろうと思うけれど、これは私が昔からやる変なことだったりする。
私は昔から自分がしていることで感情が左右される質で、絵を描いている時も何故か楽しい絵を描いている時は楽しい気分になったし、くらい絵を書いている時は暗い気分になった。きっとこれをよんだ人は「そんなのは当たり前だ」というと思うけれど、私にとってはそれは不思議なことに他ならない。何故物に自分の感情を左右されなくてはならないのか? いつもの小説を書いている時のように気分によって物を左右する方が私にとってはとても自然なような気がしてくる。
やっぱり私はおかしいんだろうか。
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