よく、ラビが任務中死んでしまって、それをアレンがアクマにしてしまうという噺を見かけます。実は私、シリアス好きな癖にそのタイプの噺はあまり好きじゃなかったりします。何故なのかというと、ほら、この場合、アクマにするのはアレン、アクマにされるのはラビ。そういう構図になるでしょ。でも考えてみると、昔にあんなことがあったアレンが、また同じことをするんだろうか? いくら心が不安定だったとしても、あんな強烈なことがあった後で、同じ過ちを犯すだろうか? という小さな疑問が浮上するんです。アレンはあのマナの件で素手に骨身に後悔がしみ込んでいるわけですから。
あり得るとしたら、なんだかんだいってそんなに精神強くなさそうなラビの方が、アレンが死んでしまった時アクマにしてしまおうとする方がおおいんじゃないかと。(私の書くアクマになったという噺は、すべてアレンの方が死んでいる)。ラビは今まで抑制されていたところに、「アレン」というたがが外れてしまう原因の人物がいたわけで、アレンをめちゃくちゃに愛しているわけですから、そんな大切なものがいなくなってしまえばどうしてでも取り戻そうとすると思うんです。
それと、もう一つ。
この二人でアクマの小説を書く時に生じる疑問。私、いつも人様の小説読んでいる時に、この疑問が頭からずっと離れなかったんですよ。
考えても見てください。アクマの製造過程で、特に重要視されているのは「愛情」「哀しみ」それから「名を呼ぶ事」です。名前が必要なんです。それも私が考えるに、この名前は両者共に必要だと思うんです。ところがどうです。考えてみると、ラビには名前がないんです。からっぽなんですね。本当の名前は捨てちゃっているわけですから。いくら今の名前に思い入れがあったとしても、それはあくまでもかりそめの名前でしかありません。ということは、片方しか名前がないこの二人で作られるアクマっていうのは、不完全なものなんじゃないでしょうか。どっちが呼ぶにしても、普通のアクマとは少し違った出来になるんじゃないでしょうか。
という考えから、ただいまアレンをアクマにしちゃったラビの話しを書いている最中です。しばらく放置してます(泣
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