な・な・な・な・泣き虫毛虫!
最近そんな事ばかり考えているようだけど、実はそうでもなかったり?
人間(私たち)や、この世に存在する全ての万物は、3ケ所以上の場所に同じに存在している「一瞬の連続」だ。
この世に存在する全ての物質は、総べて「未来」「現在」「過去」に同時に存在している。
今この瞬間「時」を感じてみれば、自分が「現在」にいながらも、次の瞬間にはきがついてみればすでに「未来」にいる事、思い返してみれば「過去」に触れている事に気がつく。
言い換えてみれば、本当はこの世に「現在」というものはないのかもしれない。
この世に存在するものはすべて、「未来」と「過去」に挟まれているだけで、「現在」というのは人間がかってに作り上げた概念なのかもしれない。
でもそれをいってしまうと、「未来」と「過去」ましてや「時」の存在さえ危うくなってしまう。
人間は「時」なくしては生きていく事が出来ない。実体のないものに、包まれている?
谷川俊太郎のコカ・コーラ・レッスンを呼んだ。
恐ろしい文章を読んだ気がした。
いいたい事、書き残したいものはたくさんあるというのに、
手が動かない、言葉が間に合わない、意味が繋がらない
感情ばかりが先立って何も書き残す事が出来ない
紙のうえに書いたものは私の感じた事の十分の位置にもみたない
それがとても悔しい
空が植田と誰が決めた? 地面が下だと誰が決めた
もしかしたら私たちが上だと思っていたのは下かもしれないという事は
常に念頭において物事は考えなければならない
この世に常識なんて物は本当はないんだから
自分が自分で自分を窓から放り出したところを想像する
どれだけの恐怖と開放感が味わえるだろうか
なくしたものがある。それが何かは分からないけれど
なくしてしまった事に変わりない。
音楽を大きな音で聞く時、必然的に周りの音は少し聞こえにくくなる
私が音楽という風にして聞く理由は、もしかしたらそれなのかもしれない
日々、「生きた」ことを記録したいと思う私はただの馬鹿なんだろうか?
記録なんて物は所詮過去の虚像でしかないんだから
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