はしっこで独り言

日常の掃溜め。主な内容は演劇部とラビアレとMETEOS。——本家「Empty SORA」の方から来た方はブラウザで戻るか横のリンクからもう一度入ってください











 「夢を見よう」とはいうけれど、夢の見方なんて誰が分かるかっての。ひとり布団のなかで、ふと思い付いて自分で突っ込んでみる。特に最近はいくら夢を見ても起きた時には忘れちゃってるから、この項目なかなか記事数が増えない。「じゃあ消せばいいじゃないか」とか一瞬思っても、でも、それでも覚えていて夢を記録したいことには代わりがない。で、そこででてくるのがこのブログなわけですね。一番そういう事をするのに手っ取り早くて簡単お手軽。昔はブログのそういうところが好きになれなくてやってなかったんですが、一度やり始めてしまうとこれははまるというか、週間づいてしまうもんですね。
 おっと、話がそれた。
 私は昔から、一度覚えた夢は結構長い間覚えている方なんですが、それがいけないんでしょうか? 自分の脳に、それが邪魔で飽きスペースがなくなって、他の夢が記憶できないんでしょうか。というような事も考えた事があります。でも一番よく夢について考えるのは、「夢は記憶の整理っていうんだから、そんな記憶の整理まで記憶してたらきりがない」。でも実際そういうことをしているわけで、だから夢の続きなんていうものも見れるわけで。でも夢を見るためにずっと眠っているわけにもいかないでショ。そこで起きるでしょ。するとね、するとやっぱり忘れちゃってるんですよ。キレイさっぱりだったりぶつぶつだったりと色々なパターンありますけど。
 夢が消えるって哀しいね。




 昔見た夢を整理しようとしても、できるように量じゃない。似たようで違う夢が、五万と存在するわけで、それをいちいち分類して違いを見つけて、記憶している事をことこまかく書く気にはいっこうになれないというのが現状。でも、人に喋るのは大好きだったりするこの矛盾(ダレカ私ノ話ヲ聞イテクレー)。夢の世界は私の世界であり、夢の世界は異世界別世界。別次元への入り口だと考える事だって容易であるわけで、ま、そこは想像力に流されるままに考えていけばいいのだ。たかが夢されど夢夢は侮れないもんですよ結構。「ゆめゆめ」とうてば、出てくるのは「努々」だって? 何でそんな変換になるんだか。とにかく夢は見たくても見れないみようとすれば書き消える。掴めそうで掴めない、捕まえる事は至難の技(おうい、そこのゆめ、とまりなさあい!)。夢警官、なんちって。夢の管理者というものはいるんだろうか、だいたい、人が見た夢はいったいどこへ消えていってしまうんだろうか。人は夢を見ている時、いったい何をしていて、どこに本当はいるんだろうか。夢とはいったい正体は何何だ?
 いっしゅん、この項目を増やしたいがあまり、自分で考えたうそデタラメの夢を書いてみようかと思ったけれど、ソレハある意味夢への冒涜であり、ある意味尊い行動だから、ま、いってみれば私のような人間がやっていいというようなことではない事は確かだ。夢は自分の手で作れるようなものじゃないんだから。ね。それを理解していない人間ってこのヨにいくらぐらいイル? この世界の人間の夢への意識はいったいどのようなものだと思う? 夢はいったいどういう受け取られ方をされ、どういう風に愛されている? そしてどういう風に憎まれている? 夢を見たくない人だってこのヨにはいる。そういう人から夢を摘み取って、自分の物にしては何故いけない? 摘み取った夢はすぐに枯れてしまう。色褪せてカサカサと乾いて、味気も何もない。瑞々しさはなくなって、乾物よりも酷い有り様。ぐずぐずと崩れて、最後には跡形もなく塵となって風に吹かれて消えてしまうんだ。そんな夢は大切に栽培しいとイケナイ。刈り取るのは夢が熟してから。熟した夢こそ本当の夢。夢の欠片を宿す塾した甘い夢。早速それを食べて美しい夢を見ようじゃありませんか。そして序でにそっから新しいたねでもとってきたらいかがですか? 皆で夢を栽培しよう!





 ゆめゆめゆめゆめゆめゆめゆめゆめゆめゆめゆめゆめめめめゆめゆめゆめゆめゆめゆめゆめゆめゆめゆめゆめゆめ。

























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